【なんばグランド花月】ができた当初は、海外からパフォーマーが毎月やって来ていました。
かけ出しの芸人だった私は、このショーのコーナー司会をさせていただいていました。
ところが…ある日、林正之助会長が客席後方でご覧になっていて、コーナー終わりで杖をつきながら舞台袖に来て杖で私を指して「おもろない!」と一言。
私は、会長の杖の先のギザギザを極めて至近距離で拝見しました。
その後、いろんな方が司会をするようになりましたが、私にとって【なんばグランド花月】NGKの舞台は忘れられず、支配人に手見せ(オーディション)を何度もお願いして2ヶ月に1週くらいの出番をいただけるようになりました。
かけ出しの芸人だった私は、このショーのコーナー司会をさせていただいていました。
ところが…ある日、林正之助会長が客席後方でご覧になっていて、コーナー終わりで杖をつきながら舞台袖に来て杖で私を指して「おもろない!」と一言。
私は、会長の杖の先のギザギザを極めて至近距離で拝見しました。
その後、いろんな方が司会をするようになりましたが、私にとって【なんばグランド花月】NGKの舞台は忘れられず、支配人に手見せ(オーディション)を何度もお願いして2ヶ月に1週くらいの出番をいただけるようになりました。
3階の楽屋から2階のステージにつながる長い階段を意気込んで降りて行く。
自分の出囃子とともに大きなバックスクリーン(当時、ジャンボトロンと呼んでいた)に名前が映し出されるのは最高の気分でした。
舞台の出来によって意気揚々と昇って戻る時もあれば肩を落として昇る時もありました。
いずれにしよ、芸人のスイッチがオンオフする階段です。
しばらく昇り降りしてなかったこの階段『NGKよる公演』で降りました。
1本前のテンダラーがめちゃくちゃ笑わせている。
この流れでオレも。
「テレショップパニック」(夢グループ編)で意気揚々と階段を昇る事が出来ました。
自分の出囃子とともに大きなバックスクリーン(当時、ジャンボトロンと呼んでいた)に名前が映し出されるのは最高の気分でした。
舞台の出来によって意気揚々と昇って戻る時もあれば肩を落として昇る時もありました。
いずれにしよ、芸人のスイッチがオンオフする階段です。
しばらく昇り降りしてなかったこの階段『NGKよる公演』で降りました。
1本前のテンダラーがめちゃくちゃ笑わせている。
この流れでオレも。
「テレショップパニック」(夢グループ編)で意気揚々と階段を昇る事が出来ました。
最近はテレビの人気者しか出れなくなったNGKですが、こんな特別公演はどんどん開催してほしいものです。
漫才に負けない噺はまだまだありますから。
漫才に負けない噺はまだまだありますから。
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