落語のいいところは、一語一句間違えて言わなければいけないというルールがないところです。
とくに自分の作った噺なら、誰に遠慮する事もなく好きに演じられるし、ネタ下ろしなら誰も知らないので多少噺の流れが間違おうと構わない。
よく「原稿用紙の何枚目まで今日は覚えたとか「何ページの頭のセリフが出て来なかった」とか言う人がいますが、私にはわかりません。
原稿を書いたら、後は流れを覚えてそこにギャグになる必要なセリフや、後半のギャグの伏線になるセリフを覚えます。
だから、ネタをくる時は専ら散歩。
台本は持たないので、ネタが出て来ない時はサゲまで意味が通るように散歩中に創作します。
そのうちネタを思い出したり、いいギャグが見つかったりするものです。
ずっと台本を手にしてきちっと覚えて毎回完璧な落語をできるのも素晴らしい事ですが、完璧に覚え込み過ぎて、ちょっとしたハプニングでネタが飛んだ時はどうしようもない状況に陥る可能性だってあります。
40年落語家をやってきて、ずいぶんごまかす技術がついてしまいました。
自分がその落語のシチュエーションやキャラクターをイメージできてたら、そして語っている落語を楽しんでいたらガチガチに覚えるよりいい時があると思います。
とくに自分の作った噺なら、誰に遠慮する事もなく好きに演じられるし、ネタ下ろしなら誰も知らないので多少噺の流れが間違おうと構わない。
よく「原稿用紙の何枚目まで今日は覚えたとか「何ページの頭のセリフが出て来なかった」とか言う人がいますが、私にはわかりません。
原稿を書いたら、後は流れを覚えてそこにギャグになる必要なセリフや、後半のギャグの伏線になるセリフを覚えます。
だから、ネタをくる時は専ら散歩。
台本は持たないので、ネタが出て来ない時はサゲまで意味が通るように散歩中に創作します。
そのうちネタを思い出したり、いいギャグが見つかったりするものです。
ずっと台本を手にしてきちっと覚えて毎回完璧な落語をできるのも素晴らしい事ですが、完璧に覚え込み過ぎて、ちょっとしたハプニングでネタが飛んだ時はどうしようもない状況に陥る可能性だってあります。
40年落語家をやってきて、ずいぶんごまかす技術がついてしまいました。
自分がその落語のシチュエーションやキャラクターをイメージできてたら、そして語っている落語を楽しんでいたらガチガチに覚えるよりいい時があると思います。
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